はじめに
タイは近年、「税金ゼロ」や「タックスヘイブン」として日本の富裕層から注目を集めています。
しかし実際には、タイ移住によって無条件に税金がかからなくなるわけではありません。
移住目的で注目される長期滞在ビザ(LTRビザ)やリタイアメントビザ(O-Aビザ)などの取得要件や、それに伴う税制優遇の実態を最新情報に基づいて解説します。
加えて、タイ国内の所得税・相続税・贈与税の制度、日本側の居住者判定・出国時課税(出国税)・CRS(共通報告基準)による情報共有の現状、バンコクとチェンマイの生活費比較、成功例・失敗例なども紹介し、タイ移住のメリット・リスクを総合的に検証します。
タイの長期滞在ビザ(LTRビザ)とリタイアメントビザ(O-Aビザ)
LTRビザ(Long-Term Residentビザ)の概要と要件
タイ政府は2022年9月から「Long-Term Resident(LTR)ビザ」制度を導入し、4つの対象者向けに長期滞在を認めています。
対象となるのは「富裕外国人(Wealthy Global Citizen)」「富裕退職者(Wealthy Pensioner)」「タイ居住リモートワーカー(Work-from-Thailand Professional)」「高度専門家(High-Skilled Professional)」の4種です。
LTRビザは取得後最長10年滞在でき、初回は5年、更新時にさらに5年が認められます。同居家族として配偶者や20歳以下の子を最大4名まで帯同させることも可能です外国人」の年収要件撤廃や「リモートワーカー」の要件緩和などが閣議承認されています。
LTRビザ保持者には税制面の特別優遇も用意されています。
高度専門家(High-Skilled Professional)には、タイ国内源泉所得に対して一律17%の低率課税が認められます。これはタイの累進税率(最大35%)より大幅に低いもので、給与所得者であれば源泉徴収でも適用できます。その他の3カテゴリ(富裕外国人、富裕退職者、リモートワーカー)については、前年度に海外で得た所得をタイ国内へ持ち込んだ場合、その持ち込み時点で課税が免除される制度があります。たとえば海外給与や年金、不動産所得などを前年度に得ており、タイへ送金すれば所得税が免除されます。ただしこれら優遇措置には細かな条件・手続があるため、専門家による申請サポートが推奨されます。
リタイアメントビザ(O-Aビザ)の要件と税務
一方、タイのリタイアメントビザ(Non-Immigrant O-Aビザ)はタイ国外から申請可能で、主に50歳以上の退職者向けです。取得には「年金・収入が年間65,000B以上」「タイ国内銀行に80万B以上の預金」「年金と預金の合計が80万B以上」のいずれかの要件を満たす必要があります。さらに、更新時には直近2か月間80万B、直近3か月後から次回更新2か月前まで40万B以上の残高推移確認など厳格な預金要件が課されます。
2023年9月以降は、O-Aビザ申請時に「対人30万B・対物40万B以上の医療保険加入」が追加要件となりました。O-Aビザ自体にLTRのような特別税制優遇はありません。取得後も通常のタイ居住者(180日以上滞在)としてタイ国内源泉所得に課税されます。2024年以降はタイ居住者が居住年に得た外国所得をタイ国内へ持ち込むと課税対象となるため、O-Aビザ保持者も免税措置はなく注意が必要です。
タイの税制:所得税・相続税・贈与税の概要
所得税(居住者/非居住者別)
タイの個人所得税は累進税率(0~35%)で、原則として居住者(タイ国内に通算180日以上滞在した者)は全世界所得課税、非居住者はタイ国内源泉所得のみ課税されます。
2024年以降、居住者が居住年に獲得した海外所得を国内へ送金するとその所得が課税対象となる新ルールが施行されました。
ただしLTRビザによる特例では、前述のように一定条件下で海外所得の持ち込み免税が認められます。タイの給与所得控除や社会保険料控除など一般的な控除のほか、65歳以上には所得控除額の拡充があります。法人配当は控除対象所得となり、二重課税調整も認められています。外国税額控除は通常の手続で適用されます。
相続税・贈与税
タイは2015年以降に相続税法を施行し、100百万バーツを超える遺産に対して課税します。相続人が法定相続人(子・親など)であれば税率5%、それ以外は10%です。
ただし配偶者への相続は非課税で、遺産の内容は不動産、株式、預金、登録車両などが対象です。遺産が100百万バーツ以下であれば課税されません。
贈与税については、年間2000万バーツ(約20M)の贈与が免税枠で、これを超える部分に対して一律5%の所得税が課されます。
免税枠は直系親族(親子・夫婦)からの贈与に適用され、その他(例:知人への贈与)は年間1000万バーツ免税と若干の違いがあります。贈与税5%はP.N.D.94様式で申告し、他の所得とは合算されずに別途納税します。
日本の税務リスク:居住者判定と出国税
日本人がタイへ移住する際には、日本国内での居住者/非居住者区分が重要です。
所得税法上、「居住者」は原則として住所または現住所が日本にある者、一時的に海外に滞在する者を含み、非居住者はそれらに該当しない者とされています。
海外移住しても日本国内に生活の本拠を残すと居住者扱いが継続し、日本の所得税が課されます。移住に際して日本での確定申告が必要かどうかはケースバイケースですが、移住直前まで日本で得た所得には引き続き税務申告義務があります。
特に注意したいのが国外転出時課税(出国税)です。
2015年から施行された制度で、日本の「居住者」が国外に居住の拠点を移す際、時価で1億円以上の有価証券等を保有している場合、その含み益に対して所得税が課されます。
これは富裕層が株式などを国外に持ち出して課税逃れをするのを防ぐ目的で、居住年における株式の含み益(一定額以下は非課税)にキャピタルゲイン課税(軽減税率)がかかります。
対象者は国籍不問で、要件を満たす場合は翌年4月15日までに確定申告して税金を納付しなければなりません。例えば、移住前に1億円以上の株式を保有する場合、日本での納税準備が必要です。出国後も日本国内源泉の所得(不動産賃貸・配当等)があれば申告義務がありますので、移住前に税理士など専門家へ相談することが重要です。
CRS(共通報告基準)による情報共有
日本とタイはともにOECDの共通報告基準(CRS)に参加しており、金融口座情報を自動交換しています。タイでは2023年9月に最初の情報交換が開始され、金融機関は非居住者名義の口座を含む全ての報告対象口座を特定し、タイ国税庁に報告しています。
2024年からは低額口座も報告対象に拡大され、報告期限は各年の6月までとなっています。
未報告や虚偽報告の罰則も厳しく、最大20万バーツの罰金や懲役刑が規定されています。したがって、タイ移住者が現地の銀行口座を開設すると、その情報は日本の税務当局にも共有されます。税金を免れる意図で口座を非開示にすると、逆に日本での申告漏れとして重いペナルティを招くリスクが高まります。対策としては、移住前に日本国内の資産と現地資産を整理し、必要に応じてタイ側でも適正に納税・申告しておくことが求められます。
バンコクとチェンマイの生活費比較
バンコクはタイ屈指の大都市で物価・家賃ともに高めですが、生活の利便性は高く、医療・教育機関も充実しています。たとえばバンコク中心部の1ベッドルーム賃貸は月20~30万Bが相場(広さ・設備により差)とされる一方、チェンマイ中心部では同程度の部屋が月8~18万B程度で借りられ、概ね半額以下です。
大きなファミリー向け3LDKクラスでも、バンコクでは月50万B以上かかるのに対し、チェンマイでは月20~35万B程度で済む例が多いようです。
光熱費や食費も、バンコクではモール型スーパーやブランド店、タクシーなどが一般的でコスト高めですが、チェンマイでは地元市場や屋台利用で抑えることができます。例えば市場の生鮮食品はバンコクもチェンマイも安価ですが、外食はチェンマイの屋台なら一食50~100B程度から楽しめます。
教育費では、バンコクのインターナショナルスクールは年間300~500万Bに達するところもありますが、チェンマイでも国際校は年間20~80万Bと幅が広く、規模も小さいため学費は安めです。
一方、医療費はバンコクの私立病院が充実しており、最高品質の治療を受けられますが費用も高額です。たとえばバンコク中心部のプライベート病院で標準的な個室入院料金は1泊約13,600Bと報告されています。
これに対し、チェンマイではバンコクハospital Chiang Maiの標準個室が約5,250B(日本円約1.6万円)と同種の設備で3分の1程度の安さです。ただしチェンマイは病院数・医師数が限られるため、重篤な治療や専門診療はバンコクへ移動する必要も出てきます。
チェンマイは公共交通機関が発達していないため、バイクや赤いソンテウ(乗合タクシー)、トゥクトゥクが主な足です。市内バスは2018年に導入された比較的新しい交通手段で、料金はどこまで乗っても30B程度と安価です。一方、トゥクトゥクやバイクタクシーは10~50Bと手軽ですが、メーターがないため交渉が必要です。バイクを自分でレンタルすれば、1日約250B、月額約2,500Bで維持費はエアコン代程度しかかかりません。
バンコクではBTS・MRTなど公共交通が網羅されており、日常の移動は10~60B程度です。両都市とも高速タクシー配車アプリ「Grab」が普及していますが、チェンマイでは相対的にタクシー数が少なく、遠距離移動はバスや自家用車が必要です。以上を総合すると、家賃・医療・教育・交通費すべてにおいてチェンマイの方がバンコクより安価であり、固定予算の移住者には魅力的です。
成功例・失敗例
タイ移住を成功させるには、税務・法律の整備が必須です。
成功例としては、LTRビザを取得した日本人が、タイ国内で日本株配当を受け取りつつ(タイ源泉0%)、タイ居住者となった後に海外給与を適法に申告・免税して節税に成功したケースなどが報告されています。
他方、失敗例としては、O-Aビザで移住後に未申告の銀行口座がCRSで発覚し、日本の税務署から追徴を受けた例があります。
また、リタイアメントビザ取得条件を満たすための預金操作に失敗してビザ更新が拒否されたり、思い込みで相続税申告を怠って高額な追徴課税を受けたケースもあります。このように、法律解釈の違いや情報不足による失敗例があるため、移住前には専門家によるシミュレーションと準備が重要です。
なお、現地エージェントやブログには「タイは日本と租税条約が結ばれており、二重課税の心配は基本的にない」といった情報もありますが、実際には制度や解釈が頻繁に更新されるため、最新の公的資料・専門家情報で裏付けを取る必要があります。
まとめ
タイ移住に伴う税務メリットを享受するには、ビザ要件や税制の細部を正確に理解し、日・タイ両国での税務申告義務を履行することが前提です。
LTRビザは高いハードルを越えれば税率優遇などの恩典がありますが、O-Aビザにはそうした優遇はなく、通常のタイ居住者として扱われます。タイの相続税・贈与税制度や2024年以降の海外所得課税ルールなども踏まえると、「タイへ移住すれば全ての税が免除される」という誤解は危険です。
さらに、日本側の出国税やCRSによる情報共有の現状からも、移住前に資産管理や税務整理をきちんと行うことが不可欠です。生活費の面では、バンコクよりチェンマイの方が安価ですが、都市規模や利便性は異なります。高所得投資家・退職者が快適に移住するには、税務・法務の専門家と連携し、移住計画の「出口(帰国・相続等)」も視野に入れた総合的なプランニングが鍵となります。
参考資料: BOI公式資料zero-asia.bizzero-asia.biz、PwCタイランドtaxsummaries.pwc.comtaxsummaries.pwc.com、KPMGタイランドassets.kpmg.com、Zero Asiazero-asia.bizzero-asia.biz、HLBタイランドhlbthai.comhlbthai.com、Probitas税理士法人probitas.jp、TAINA Techtaina.techtaina.tech、PacificPrimepacificprime.compacificprime.comなどの情報を参照。